イーゼルのこと

画用のイーゼルについて述べる前に、自身の仕事がらもあり一昔前までお世話になっていた製図台のことについて記したいと思います。

今で言うエンジニアという言葉・認識は、四半世紀前のエンジニアの認識と、道具と身体との関わり方において、かなり異なってきたように思います。技術内容の抽象度が高くなっている。身体と道具との関わりも希薄になっている。そのように感じます。

ちょうど四半世紀前、一般にインターネットが普及し始めた頃の話しです。その少し前くらいから設計においては、製図台上の手書き図面からパーソナルコンピュータ上でのデジタルデータ化の方向へ少しずつ移行してきてはいましたが、インターネットが一般化しはじめた’95・6年頃を境に、急速にパーソナルコンピュータによる設計が普及しました。その結果として製図台は無用の長物になりました。そもそも製図台は手書きで図面を引くのに人間工学的にと言ってよいでしょう。とても作図するのに工夫された道具です。画用イーゼルにはない、高い精度で線を引くことのできるイーゼルみたいな代物ともいえましょう。しかも高価で、アトリエ据え置き用のH型イーゼルの2・3倍くらいしたと思います。これが、情報通信技術の深化により、当初の価値、需要を突然のように失ったのです。このような人と道具の関係性の急変は、近い将来の5G化でもカタチを変えいろいろな分野で必ずおこるのではないかと思います。

さて、画用のイーゼルに話しをもどしますと、単純にイーゼルは今もイーゼルとしての価値を残しています。しぶとい需要があるのですね。絵画の世界は描く作品に本質的価値があるわけですから、建築の図面とは本質的価値の位置が違います。しっかりと描きやすい位置に固定する。それがイーゼルの道具たる価値なのでしょう。前述の製図台のこともあり、イーゼルという道具に、そしてその周辺の道具たちに、その存在へのリスペクト、いわば淡いあこがれのような感動を禁じ得ません。