紀元1世紀頃のローマのフレスコ画 『パン屋の夫婦』 について

ある方から昔撮られたご夫婦の記念写真を渡され、木炭でもよいからと絵を所望された。記念写真はお二人と背景からなる構図で、人ふたりの距離は自然で仲むつまじくバランス良く撮れている。しかし絵で改めて描き表すとき自分は、どうしても表情を優先することにしているから人の顔は大きく描く。通常ひとりならば枠の中におさまるのだが、2人の場合には写真の距離ではどうしても疎遠な距離になってしまう。どうしたことか、写真と同じ比率で画いたらとも思ったが、それだったらデジタルで丁寧に仕上げればよいだけ。

発掘された肖像画、フレスコ、国立ナポリ考古学博物館

出展元 : Wikipedia ボンペイ

紀元1世紀ローマ、色彩史的には、ギリシアからひきつがれた白、黒、青、赤、黄にくわえ、緑、紫の出現。ポンペイ・レッド、ポンペイ・グリーンも補色効果をねらって使われている。『パン屋の夫婦』と呼ばれている絵は、目を引く色彩こそ抑制されているが、それ故に平面絵画でしか表せない、ふたりの人物の距離を効果的に描いていることを見せつけているようでもある。

ということで『パン屋の夫婦』の構図を参考に描いてみることにしました。

建築 のオメガ

建築 カテゴリーの整理

ここでの 建築 という大きなカテゴリーは、ほとんどの事どもは 建築が包括する世界観の中におさまるのではないかという、個人的な考え方確信に基づいています。たぶん、昭和中期70~80年代頃の建築デザイン観、世界観からの派生系というか発酵系というか、そういったところでくくられる内容であろうかと思います。

地盤、建設の現場、工法技術、発注の仕方、コスト管理、建て主の建築イメージの成り立ち具合、法規、各時代の建築スタイルや考え方、空間を体感すること、文学の中の建築、イメージの建築。等々。

仔カテゴリーの整理。はじめにアートのカテゴリー分けと同様に、あつかいうるカテゴリーの範囲を時間で一応おさえてみますと、

シェルターの代用としての仮設工作物あるいは洞窟などがあったわけです。それらは建物でなかったにせよ、そこに装飾が添えられた時点でいわゆるインテリア空間となります。これは建築か?どうなんだろう。建築にこだわらなければどうでも良いことである。

でも、言葉にせねばならないとき、美学としての建築を一端でも伝える必要があるとき、そんなときもあるかもしれない。きちんとしとかなければね。

無限にも等しい試行錯誤、発見がなされ、建築は現在、そしてに未来へと。個人的史観にすぎず、おおめにみてくださいね。さて、建築の元となる尺度を基点に、時代を大きく3つに区分しますと。

個々の感覚や身体的な尺度で作っていた時代。

感性によって空間は決められる。共有の尺度で作っていた時代。

尺度に相互関連づけ意味が付与される比率で作られる時代。。

ここでは3番目の、比率の発生の段階を建築の始まりとしています。建築を形作る意志決定の必然性の強弱が、建築かそうでないかの区分であるとの見方によります。よって建築のアルファつまり始まりが分からないほどの原始ではなく、推測しうる一定の時代からのスタートということで、アルファはありません。比率応用の時代から、今にいたり、遙か未来に通じる建築。そういった見地から建築の未来無限、オメガはあるだろう。ということを建築の考え方の一応の基盤に、仔カテゴリーを以下に整理いたします。



 

スケルトン・インフィル

(スケルトン・インフィルの概念、プロポーザルコンペ実施分、建築 LCC、など)

建築コンペ

(建築設計競技、アイデアコンペなど)

建築基準法

(建築基準法ほか、都市計画法、消防法、省エネ法など)

建築史 思潮 様式

(様式の変遷、建築思潮など)

構造 工法

(木造、鉄骨造、RC造、SRC造、ハイブリッド構造、CFT構造など)

環境

(住環境、インフラ、都市、集落、まちづくり、地域資源など)

耐震化

(我が国の建築構造耐震化及び技術なと)

設計の方法

(板絵、製図台、キャド、スペックなど)

アート のアルファとオメガ

アート カテゴリーの整理

ワードプレスを始めて3週間少したちました。たまに見に来る人も、おられるかも知らんよ。苦手なカテゴリー分けとか、やっぱりやっとかないと失礼だよ。この長い連休だもの、やります。

ということで、描くこと をテーマにしているのだから、カテゴリーの大くくりは、やっぱり芸術。つまり アート、これ第1のカテゴリ-。以下はこのアートの仔カテゴリーにすればいいんだな。

といっても、まだまだ知らないことがたくさんあります。そこで限られた知識の中に両極をおいてみることしました。両極とはアートの遙か未来と、遙か過去。むろん見えませんので、限られた了見の中ということになります。どうぞおおめに見て下さい。

仔カテゴリー、未来の一極、ニューメディアアート。令和になった今を見てみます。表現の伸びと広がりが期待できる分野としてメディアアートがとても気になります。伸びの可能性のあるものとしてゲームやアニメなどもありますが、仔カテゴリーの両極端のうち一端はこれ メディアアート にしました。特に teamLab (注1)のようなスケールのある空間表現の台頭、浸透、国の後押しについては個人的にも心ざわつかされること、3点ほどあります。気になっているのは(しょうもないことかもしれませんが)建築の世界に入っているようでもあり、どうなんか、建築をすでに喰っているのか。そこのところがはっきり私に見えていないところにあります。つまり、建築空間的な魅力があって、先端技術とマスメディアや国のトレンドと共にある。しかし、今のところ、太陽とは相容れない。

(注1)teamLab

最新のテクノロジーを活用したシステムやデジタルコンテンツの開発を行うチームラボは、アーティスト、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、数学者、建築家など、デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されているウルトラテクノロジスト集団。

出展元:チームラボ / teamLab

さて、仔カテゴリーのもう一極、遙か過去のアート。それは、2万年くらい前のラスコーやアルタミラに代表されるような洞窟天井壁画。もっとさかのぼって10万年くらい前のブロンボス洞窟の絵の具工房(注2)の発見。ここでは調合絵の具レッドオーカーが計画的に作られており、それで壁画や身体装飾をしていたのではないかと推論されています。

(注2)絵の具工房

内側に鮮紅色(せんこうしょく)の粉末が付着した10万年前のアワビの貝殻2枚が発見された。最古の“絵の具工房”が存在した証拠と見られている。 発見場所は、南アフリカ南岸の町スティル・ベイに程近いブロンボス洞窟。さまざまな色の粘土状物質(オーカー)、アザラシ骨粉、炭、珪岩片、液体(水など)を混ぜ合わせた、原始的な顔料と考えられる。

出展元:ナショナル ジオグラフィック 人類最古の“絵の具工房”、南アの洞窟

色彩の歴史では、「黒」「赤」「白」「黄」の基本4色が原始の色彩と云われてはいますが、確かに身の廻りの画材を見て木炭とかは、がんばれば作れそうな気がします。赤褐色もがんばればできそうな気がするが、よりあざやかな赤はきっと難しく、石灰とか珪石とか何べんも調合したのだろうな。いわば一種の錬金術・化学的な調合でしょう。白は場所にもよるが粘土やはまぐり貝の胡粉とかで。黄色は原材料の入手が白より難しそう。オーストラリアの人たちも黄色と赤をほとんど同様の意味合いの色として用いたりしていたともいわれています。

色の純度、彩度の高さは太古の昔においても、人の美しさに対する欲求からして自然に求められもし研究されてもきたはずです。真黒、鮮明な赤、純白、真黄色。この4色だけでもたいしたものだから。無論、未来のアートにも十分通じる4色です。なんとなく応援したくなってきます。



 

アートに続く 仔カテゴリーの整理

仔カテゴリーについては、個々の作品による分け方ではなく、それを制作した作家の個性ごとにグルーピングしたほうが、直感的に分かりやすいと思いました。ひとつのグループにおさまらない作家もいることから系譜立てといっても厳密なものではありませんが、アート特有の空気感はグループごとに現れているのではないかと思います。

メディアアート

前史//ジョージ・ホーナー/エミール・レイノー/ナム・ジュン・パイク//・・・(多岐にわたる)・・・/20世紀中盤より広く知られる芸術表現に新しい技術的発明やマスメディアなども積極的に活用する芸術的表現/

コンセプチュアル・アート

前史//マルセル・デュシャン/ロバート・ラウシェンバーグ/イヴ・クライン/ピエロ・マンゾーニ/ヨーゼフ・ボイス/フルクサス、ジョージ・マチューナス/ナム・ジュン・パイク/河原温/オノ・ヨーコ/ロバート・モリス/アイ・ウェイウェイ/

ミクストメディア

前史//ジョゼフ・コーネル/フランク・ステラ/ジルベルト・ゾリオ/ピエル・パオロ・カルツォラーリ/

パステル画

前史//エドガー・ドガ/オディロン・ルドン/

ミクストメディア

前史//ジョゼフ・コーネル/フランク・ステラ/ジルベルト・ゾリオ/ピエル・パオロ・カルツォラーリ/

建築ドローイング

前史//ダ・ビンチ/ピラネージ/ルイ・ブーレー/アントニオ・サンテリア/エル・リシツキー/コルビュジエ/イワン・イリイチ・レオニドフ/ルイス・I・カーン/アーキグラム/アルド・ロッシ/ライムント・アブラハム/高松伸/ザハ・ハディド/磯崎新/

展覧会

油絵

色鉛筆画

木炭画

色の性質 色彩史

水彩画

画材

(個展、展覧会、イベントなど)

(油絵、表現方法など)

(色鉛筆、マーカー、ペンなど)

(木炭クロッキー、似顔絵など)

(顔料の歴史、配色、混色、補色など)

(透明水彩、不透明水彩ガッシュなど)

(イーゼル、パレット、筆、ペインティングナイフ、画用液、画用木炭、パステル、CG、ペンタブレットなど)

以上が、アート/カテゴリーのディレクトリ構成と内容になります。

 

令和元年

無事、元号は5月1日午前0時をもって平成から令和に改められました。年の変わりの元旦にも似て、街の感じや天候や体感温度などは昨日とさほど変わらないものの、昨日までの平成の空気とはちょっとちがうような感じ。やはり長く培われてきた我が国の精神文化というものでしょう。

新天皇陛下が1日午前0時に即位された。「令和」元年が始まり、陛下は同日、皇居・宮殿で催された即位後朝見の儀で、国民に向けて天皇として最初のお言葉を述べた。退位による代替わりは江戸時代の光格天皇以来、202年ぶり。前天皇陛下は上皇さまになった。

出展元:Bloomberg 新天皇陛下が即位、「象徴として責務果たす」-令和始まる

 

ニャンタロが「鬼ごっこ」をしかけてきたが

ロジェ・カイヨワの本に「遊びと人間」いうのがあります。遊びのタイプを4つの大きなカテゴリーに分け、例をあげながら論じた本です。興味を引いたのは、動物も遊ぶということ。その遊びも人と同じ3つのカテゴリーにくくられるようです。1つのカテゴリーを除いては。

夜中、ニャン太郎が「鬼ごっこ」をしかけてきました。紐とかを獲物にみたててじゃれるひとり遊び程度がニャンタロの遊びと思いこんでいたのですが。テレビやユーチューブとかで「鬼ごっこ」「ダルマさんが転んだ」みたいに一応のルール、約束事の中で楽しむ高度な遊び方も確かにあるので、そういった動画に出てくる動物たちについては特別な才能なんだと感心して見てはいたのですけどね。ニャンタロも2歳になったので、ちいっと賢くなったのかな。

さて、カイヨワの4つのカテゴリー。次のとおりです。なるほど、たいていの遊びはこの4つにくくられてしまうようです。

(A)アゴーン:競争の遊び。意志の遊び。(例:スポーツ競技・将棋・登山)動的。

(B)アレア:偶然を楽しむ遊び。優れて人間的な知的遊び。(例:サイコロ遊び・賭け事・期待と不安野遊び)静的。

(C)ミミクリー:模擬の遊び。自分を作り変えることによって世界からの脱出を図る。活動的な演技。積極的な模倣。(例: 子供の「ごっこ」遊び。コスプレ。)自己変容。

(D)イリンクス:めまいの遊び。外力により一瞬だけ知覚の安定を崩す事によって普段の意識に心地良いパニックを引き起こそうとする試みの遊び。現実を一挙に無化する一種のけいれん・トランス・催眠状態・麻痺状態に入る。(高い高い、ブランコ遊び、バンジージャンプ、心地よいめまいの遊び)積極的な受動。

以上。

なんですけどね。

ここで興味深いのは動物も、競争の遊び・模擬の遊び・めまいの遊びの3タイプの遊びを知っている。しかし、アレアについては人間のみの遊びで動物にはない。この期待と不安の遊びというものは動物にとっては、生きていく上で重要性を持たないのでしょう。たぶんね。

フリー素材の問題点と取りまく環境の課題

フリー素材の中でも善意のクリエイターによる良質のフリー素材がある。著作権は作者にあること等の作者とユーザーとの間のルール・紳士協定を遵守すればYouTube 上でも、加工含め自由に使用して良い。そのようなフリー素材がある。しかしながら、作者間との紳士協定を無視するユーザーがYouTube 上で自らの著作として勝手に公開したとき、状況にもよるだろうがYouTube 上での異議申し立て等の両者間のトラブルが発生する。結果として、作者との紳士協定を守り同じフリー素材を使っていた善意のユーザー達にも、YouTube上の規制がかかっていく。つまり、そのような問題の種を一般のフリー素材は含んでいると、現在は認識した方がよい。それ以前に、作者とのルールを守らないユーザーへの処置こそなされてほしいが、しかし今のところ YouTube 側もなしえない状況なのだろう。

イーゼルのこと

画用のイーゼルについて述べる前に、自身の仕事がらもあり一昔前までお世話になっていた製図台のことについて記したいと思います。

今で言うエンジニアという言葉・認識は、四半世紀前のエンジニアの認識と、道具と身体との関わり方において、かなり異なってきたように思います。技術内容の抽象度が高くなっている。身体と道具との関わりも希薄になっている。そのように感じます。

ちょうど四半世紀前、一般にインターネットが普及し始めた頃の話しです。その少し前くらいから設計においては、製図台上の手書き図面からパーソナルコンピュータ上でのデジタルデータ化の方向へ少しずつ移行してきてはいましたが、インターネットが一般化しはじめた’95・6年頃を境に、急速にパーソナルコンピュータによる設計が普及しました。その結果として製図台は無用の長物になりました。そもそも製図台は手書きで図面を引くのに人間工学的にと言ってよいでしょう。とても作図するのに工夫された道具です。画用イーゼルにはない、高い精度で線を引くことのできるイーゼルみたいな代物ともいえましょう。しかも高価で、アトリエ据え置き用のH型イーゼルの2・3倍くらいしたと思います。これが、情報通信技術の深化により、当初の価値、需要を突然のように失ったのです。このような人と道具の関係性の急変は、近い将来の5G化でもカタチを変えいろいろな分野で必ずおこるのではないかと思います。

さて、画用のイーゼルに話しをもどしますと、単純にイーゼルは今もイーゼルとしての価値を残しています。しぶとい需要があるのですね。絵画の世界は描く作品に本質的価値があるわけですから、建築の図面とは本質的価値の位置が違います。しっかりと描きやすい位置に固定する。それがイーゼルの道具たる価値なのでしょう。前述の製図台のこともあり、イーゼルという道具に、そしてその周辺の道具たちに、その存在へのリスペクト、いわば淡いあこがれのような感動を禁じ得ません。

画用木炭のこと

楽しく描いている最中には、道具とかにはあまり気をとめないのではと思いますが、描くには必ず何かを持っているのです。絵の具とか筆とかそういった道具、ここでは木炭、原始につうじる絵の道具についてです。

7万年くらい前ネアンデルタール人のころ、人は自らを彩色していた。といわれています。今分かる限りにおいて「赤褐色」「白」「黄」「黒」が基本4色として使われており、それぞれ「血、レッドオーカー系の岩粉、土など」「白い粘土など」「墨、泥土など」「イエロー系の岩粉、土など」を顔料に、自らの身体や他者の身体をいろどっていました。〝衣〟服飾に通じところ多々ありますね。

紀元前3万年前~1万年前クロマニヨン人のころには、人の身体だけではなくモノにも彩色するようになったといわれています。ラスコーやアルタミラの洞窟には私たちのご先祖様が長い年月をかけ描き続けてきた天井壁画が、おどろくべきことに、天然のフレスコ画の状態として今に残されています。

余談として、絵の耐久性についてはどうなのかと考えてみると。紙や布を使わないデジタルデータは半永久的か。といえば決してそうではなく、今のところそういったデジタルデータは記録メディアや記録方法の耐用性によるところ大きく、昔ながらの和紙や布キャンバスに良い状態で描かれた絵に比べれば、はるかに脆弱で長持ちしにくいというです。ラスコーやアルタミラ、約2万年の実証に比する記録媒体やしくみはしばらくは現れない。そのような気もします。

そういったことからも、木炭は描くためにも使える面白い道具ですよ。という話しでした。