ニャンタロが「鬼ごっこ」をしかけてきたが

ロジェ・カイヨワの本に「遊びと人間」いうのがあります。遊びのタイプを4つの大きなカテゴリーに分け、例をあげながら論じた本です。興味を引いたのは、動物も遊ぶということ。その遊びも人と同じ3つのカテゴリーにくくられるようです。1つのカテゴリーを除いては。

夜中、ニャン太郎が「鬼ごっこ」をしかけてきました。紐とかを獲物にみたててじゃれるひとり遊び程度がニャンタロの遊びと思いこんでいたのですが。テレビやユーチューブとかで「鬼ごっこ」「ダルマさんが転んだ」みたいに一応のルール、約束事の中で楽しむ高度な遊び方も確かにあるので、そういった動画に出てくる動物たちについては特別な才能なんだと感心して見てはいたのですけどね。ニャンタロも2歳になったので、ちいっと賢くなったのかな。

さて、カイヨワの4つのカテゴリー。次のとおりです。なるほど、たいていの遊びはこの4つにくくられてしまうようです。

(A)アゴーン:競争の遊び。意志の遊び。(例:スポーツ競技・将棋・登山)動的。

(B)アレア:偶然を楽しむ遊び。優れて人間的な知的遊び。(例:サイコロ遊び・賭け事・期待と不安野遊び)静的。

(C)ミミクリー:模擬の遊び。自分を作り変えることによって世界からの脱出を図る。活動的な演技。積極的な模倣。(例: 子供の「ごっこ」遊び。コスプレ。)自己変容。

(D)イリンクス:めまいの遊び。外力により一瞬だけ知覚の安定を崩す事によって普段の意識に心地良いパニックを引き起こそうとする試みの遊び。現実を一挙に無化する一種のけいれん・トランス・催眠状態・麻痺状態に入る。(高い高い、ブランコ遊び、バンジージャンプ、心地よいめまいの遊び)積極的な受動。

以上。

なんですけどね。

ここで興味深いのは動物も、競争の遊び・模擬の遊び・めまいの遊びの3タイプの遊びを知っている。しかし、アレアについては人間のみの遊びで動物にはない。この期待と不安の遊びというものは動物にとっては、生きていく上で重要性を持たないのでしょう。たぶんね。

フリー素材の問題点と取りまく環境の課題

フリー素材の中でも善意のクリエイターによる良質のフリー素材がある。著作権は作者にあること等の作者とユーザーとの間のルール・紳士協定を遵守すればYouTube 上でも、加工含め自由に使用して良い。そのようなフリー素材がある。しかしながら、作者間との紳士協定を無視するユーザーがYouTube 上で自らの著作として勝手に公開したとき、状況にもよるだろうがYouTube 上での異議申し立て等の両者間のトラブルが発生する。結果として、作者との紳士協定を守り同じフリー素材を使っていた善意のユーザー達にも、YouTube上の規制がかかっていく。つまり、そのような問題の種を一般のフリー素材は含んでいると、現在は認識した方がよい。それ以前に、作者とのルールを守らないユーザーへの処置こそなされてほしいが、しかし今のところ YouTube 側もなしえない状況なのだろう。

イーゼルのこと

画用のイーゼルについて述べる前に、自身の仕事がらもあり一昔前までお世話になっていた製図台のことについて記したいと思います。

今で言うエンジニアという言葉・認識は、四半世紀前のエンジニアの認識と、道具と身体との関わり方において、かなり異なってきたように思います。技術内容の抽象度が高くなっている。身体と道具との関わりも希薄になっている。そのように感じます。

ちょうど四半世紀前、一般にインターネットが普及し始めた頃の話しです。その少し前くらいから設計においては、製図台上の手書き図面からパーソナルコンピュータ上でのデジタルデータ化の方向へ少しずつ移行してきてはいましたが、インターネットが一般化しはじめた’95・6年頃を境に、急速にパーソナルコンピュータによる設計が普及しました。その結果として製図台は無用の長物になりました。そもそも製図台は手書きで図面を引くのに人間工学的にと言ってよいでしょう。とても作図するのに工夫された道具です。画用イーゼルにはない、高い精度で線を引くことのできるイーゼルみたいな代物ともいえましょう。しかも高価で、アトリエ据え置き用のH型イーゼルの2・3倍くらいしたと思います。これが、情報通信技術の深化により、当初の価値、需要を突然のように失ったのです。このような人と道具の関係性の急変は、近い将来の5G化でもカタチを変えいろいろな分野で必ずおこるのではないかと思います。

さて、画用のイーゼルに話しをもどしますと、単純にイーゼルは今もイーゼルとしての価値を残しています。しぶとい需要があるのですね。絵画の世界は描く作品に本質的価値があるわけですから、建築の図面とは本質的価値の位置が違います。しっかりと描きやすい位置に固定する。それがイーゼルの道具たる価値なのでしょう。前述の製図台のこともあり、イーゼルという道具に、そしてその周辺の道具たちに、その存在へのリスペクト、いわば淡いあこがれのような感動を禁じ得ません。

画用木炭のこと

楽しく描いている最中には、道具とかにはあまり気をとめないのではと思いますが、描くには必ず何かを持っているのです。絵の具とか筆とかそういった道具、ここでは木炭、原始につうじる絵の道具についてです。

7万年くらい前ネアンデルタール人のころ、人は自らを彩色していた。といわれています。今分かる限りにおいて「赤褐色」「白」「黄」「黒」が基本4色として使われており、それぞれ「血、レッドオーカー系の岩粉、土など」「白い粘土など」「墨、泥土など」「イエロー系の岩粉、土など」を顔料に、自らの身体や他者の身体をいろどっていました。〝衣〟服飾に通じところ多々ありますね。

紀元前3万年前~1万年前クロマニヨン人のころには、人の身体だけではなくモノにも彩色するようになったといわれています。ラスコーやアルタミラの洞窟には私たちのご先祖様が長い年月をかけ描き続けてきた天井壁画が、おどろくべきことに、天然のフレスコ画の状態として今に残されています。

余談として、絵の耐久性についてはどうなのかと考えてみると。紙や布を使わないデジタルデータは半永久的か。といえば決してそうではなく、今のところそういったデジタルデータは記録メディアや記録方法の耐用性によるところ大きく、昔ながらの和紙や布キャンバスに良い状態で描かれた絵に比べれば、はるかに脆弱で長持ちしにくいというです。ラスコーやアルタミラ、約2万年の実証に比する記録媒体やしくみはしばらくは現れない。そのような気もします。

そういったことからも、木炭は描くためにも使える面白い道具ですよ。という話しでした。

花の色(反対色)ツツジのマゼンタ と カエデ

<補色シリーズ>

ツツジのマゼンタ、カエデの黄緑。それぞれの反対色との関係を、動画にしてみました。

動画は、YouTube マイチャンネル にアップしています。YouTube で下のタイトルを検索してみてください。

「 楽しく描こう〝おはようニャー〟花の色(反対色)ツツジのマゼンタ と カエデ 」

動画では、真ん中にいる小さい猫ちゃんを見てね。10秒くらいで画面が白色に変わります。

WordPress の再設定

WordPress の設定はやっぱり難しいな。ブログ全体の設定を分かりもせず変にいじったために、デーベースを入れなおす事になりました。いったりきたりの作業で時間もかかりましたが、よい勉強にはなりました。分かったことは、分からない設定には触るな。ということ。「すごいものには手を出すな」、ヴィトゲンシュタインの言葉でしたか。

 

木炭(ヴィトゲンシュタイン)

 

 

花の色 (フリージア)

<エスキース> フリージア

フリージアが咲き始めました。描こうと思いましたのは、花の色よりもフリージアの香りの存在感でした。ただし今日は、春は霞と言うように 空がぼんやりとしていて、 色が映えるような西陽は期待できないまま。

(パステル、木炭)